天から与えられた大きな宿題

仏教では「誓願(せいがん)」という言葉を大切にします。誓願とは「誓いと願い」のことです。

お正月を迎え、皆様方も新しい誓いと願いを心に抱いて新しい年を出発されたことでしょう。新しい年には新しい「誓い」が必要です。昨年までは出来なかったが今年こそはと心の中に念ずる誓いです。

例えば今年こそ禁煙を禁酒をとか、ギャンブルは絶対に手を染めないとか、或いは積極的に毎日本を読む、手紙を書く…いくらでも新しい誓いは出てきます。しかし、人間は万能ではないし、すべての人が強い精神力の持ち主ではありません。僅か三日間でその「誓い」は崩れてしまうかも知れません!

ではどうしたら良いでしょう。答えは簡単です。もう一度「誓い」をし直すのです。また崩れたらもう一度「誓い」をし直して再出発します。その繰り返しが人間の一生というものです。結局、根気の有無という所へ落ち着くのかも知れません。

近頃、私は「人間って弱くて愚かなものだなあ」と思います。イヤ決して他人様のことではありません。自分自身のことです。何度も何度も誓いを立てては失敗し、その都度新たな誓いを立て、既に老境に入っているのに未だ崇高な精神の世界に到達していません。そうすると自然と御仏にすがるような気持ちで願います。「私を導いてください」と。

只管(ひたすら)な願いが「祈り」なのです。

理想だけが高くて、努力も根気もない人間は、いい加減な自己流の人生観を持って、やがて挫折を味わう結果になると思います。焦ってはいけません。諦めてもいけません。

自分の人生は自分のものだと思っていましたが、実は天から与えられた大きな宿題なのだと考えております。